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名称 |
天保のききん供養塔 |
一言説明 |
一帯を見渡せる砂丘上で供養する |
キーワード |
自然綺麗癒し |
指定・登録 |
男鹿市指定有形文化財 |
保全法令等 |
男鹿市文化財保護条例 |
江戸時代の最大の飢饉と言われる天保4(1833)年に起こった飢饉では、男鹿半島内で2,559人の餓死者が出たとされており、その内、船越では625人と、他に比べて多くの死者が出ました。
供養塔は、飢饉の死者を弔うために弘化3(1846)年に建てられたものです。周囲より標高が高いこの場所は砂丘ですが、高台の少ない船越で、町を見渡すことのできる場所が選ばれたのでしょうか。後世の人々に飢饉の惨状と警告を伝える貴重な歴史資料です。
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名称 |
船越近隣公園 |
一言説明 |
砂丘が憩いの公園に |
キーワード |
地質歴史探求 |
指定・登録 |
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保全法令等 |
ー |
昭和38(1963)年に完成した市民の憩いの場で、桜の名所にもなっている公園です。周辺より9mほど高くなっており、砂丘の高まりを公園とし、高まりの上には神明社や八郎潟での遭難事故、戦争に関わる石碑が立ち並んでいます。
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名称 |
横長根A遺跡 |
一言説明 |
砂丘に営まれた弥生時代の遺跡 |
キーワード |
歴史自然探求 |
指定・登録 |
埋蔵文化財包蔵地(遺跡) |
保全法令等 |
文化財保護法 |
横長根A遺跡は弥生時代中頃(2,400年ほど前)の遺跡です。発掘調査によって竪穴建物跡1軒が見つかり、土器や石器、炭化米などが出土しました。さらに土器に稲の痕跡が残されているものもあります。
現在は宅地化されていますが、地面は砂地です。周囲より標高が高い、砂丘上で生活を営み、米作りが行われていたと考えられています。同じく八郎潟沿岸の志藤沢遺跡とともに、秋田県での稲作の始まりを知る上で貴重な遺跡です。