こんにちは。さきいかです????
秋ですね。
みなさんお月見しましたか(´ω`)?
我が家はすすきをかざり、さつまいもやお団子、果物などお供えしました(´ω`)
さて、以前にも八郎潟開発を試みた人たちを紹介しましたが、大正7年の米騒動が発端となり国家プロジェクトとして八郎潟開発が計画されました。
今日は4つの干拓計画を設計図面とともに紹介します☺
①「八郎潟土地利用計画書」(通称:可知案)
特徴: ・国家的発想の開発として最初の計画
・承水路を潟の周辺にめぐらせる
・中央に残存水面を残し、湖畔洪水を防ぐ陸地造成
結果:予算の都合や大震災の余波などにより実現できず
大正13年起草
②「八郎潟工業地帯造成計画書」(通称:金森案)
特徴: ・工業地帯として八郎潟を造成
・船川に大型港湾の建設
(工業地帯の造成と港湾整備が主目的)
・干拓地を農耕地として利用
結果:壮大な計画で現実味がなかったことや太平洋戦争勃発のため実現できず
昭和16年起草
③「八郎潟干拓計画書」(通称:師岡案)
特徴: ・農耕地の造成が主目的
・東部、西部に承水路を設ける
・排水機場による排水
結果:太平洋戦争の影響で実現できず
昭和16年起草
④「八郎潟国営事業計画」(通称:狩野案)
特徴: ・北部、南部に排水機場を設ける
・船越水道を締め切り、日本海と遮断
(防潮水門を生みだす構想)
・入植者の村落計画
結果:敗戦の混乱や地元の反対運動により実現できず
昭和23年起草
こうしていくつかの干拓計画は立てられましたが、いずれも実現できずにお蔵入りしてしまいました。
しかしこの後、ヤンセン教授の登場により干拓実現に向けて大きく進んでいきます☺
それはまた今度。
では☺