こんにちは。さきいかです????
11月2日~11月6日まで秋田県種苗交換会が潟上市で開催されました!
農家の皆さま、農家に興味のある皆さまが県内外から訪れたことでしょう(´ω`)
干拓博物館にも農業関係の団体様がわんさか来てくださいました(´ω`)
大潟村案内ボランティアへのご予約もたくさんあり、農家さんならではの質問も多くありました(´ω`)
さて、今日は八郎潟開発の続編となります。
以前、八郎潟開発の可知案~狩野案までご紹介しました☺
今回はヤンセン案(ヤンセンレポート)を紹介したいと思います。
日本は戦後、独立国として世界に認められ経済的に自立が求められました。
食料を輸入に頼るのではなく、自給率を高める必要がありました。
そのためにも干拓を実現する必要があったんです!(・ω・)
そこで、昭和28年、当時の吉田茂首相が干拓先進国オランダからの技術導入を指示し、ヤンセン教授らが来日することになりました。
こちらのヤンセン教授、
※1デルタ計画の指導者を兼ねるとともにNEDECO(オランダ技術コンサルタント)および
※2世界銀行顧問として国際的な活躍をされた方です。
※1デルタ計画・・・オランダのライン川河口の三角州(デルタ)を高潮から守るために作られたダムや堤防などの建設および計画。
※2世界銀行・・・途上国などに対して貧困削減や開発支援を目的とした整備資金を低利や無利子で融資する国際機関。
ヤンセン教授は巨椋池干拓地(京都府)や児島湾干拓事業地区(岡山県)、鎧潟干拓計画地区(新潟県)などの視察を行いました。
そして昭和29年、「日本の干拓についての所見」(ヤンセンレポート)を起草しました。
ヤンセンレポートには現在の排水路や排水機場・調整池が示され、なにより他の干拓候補地ではネックとなっていた堤防の建設が、適切な事業費で実現可能であると示し八郎潟干拓が動き出しました☺
このヤンセンレポートの内容はとても濃いもので、当時の大蔵省は教授らの招待費用の予算を減額していましたが、追加で支払いをしたというくらい高い評価でした。
干拓着工後も何度か日本を訪れ指導を行い、干陸式典では勲章を贈られたそうです。
博物館にはヤンセンレポートやNEDECO(オランダ技術コンサルタント)がまとめた八郎潟干拓に関する予備報告書、世界銀行調査団に対する八郎潟干拓計画の説明資料なども展示しております。
中をお見せすることはできませんが、ヤンセンレポートの厚みなどを実際ご覧いただければと思います☺
こうして、今までいくつかの干拓案が示されては消え・・・でしたがいよいよ実現へと一気に動き出したのでした(・ω・)