こんにちは!!
3月も残り少なくなりましたね。
日を追って暖かくなって来たような気もしますが
皆さんお元気でしょうか?
先日、大潟村案内ボランティアの会では
昨年12月25日のさきがけ新聞
「オランダの技術を八郎潟干拓に!!」という記事をより詳しく
取材担当記者の
さきがけデジタル社 編集部長 安藤 伸一 氏を
迎えて、当該記事の取材内容・経緯の詳細を学び
案内ボランティア活動に役立てる事を目的に勉強会を開催しました。
なんと驚くことに
ミスター全総(全国総合開発計画)」と呼ばれ、昨年8月に亡くなった
元国土事務次官の下河辺淳氏(享年92)が生前、元部下に
「八郎潟干拓をオランダの技術協力を得て事業化するよう、自分が
吉田茂首相(当時)に進言した」と話していたことが
分かりました。
また、当時米国はできるだけ多くの国を講和条約に参加させようとして
いましたが、米国の「日本に賠償を求めない」方針に対して
現在のインドネシアにあった植民地を日本に占領された
オランダが反発し講和条約に署名を拒んだようです。
「日本の干拓を支援するで賠償金のかわりに技術協力費を
支払うことで、オランダの条約署名につながった」というインタビューの
記事が保存されていました。
今後、案内ボランティアの説明の中には、
干拓の理由として
このサンフランシスコ講和条約署名の話も追加される
ことでしょう。
すいません 長くなりました。
SASAKIでした。