みなさんこんにちは(・ω・)ノ たかみーです。
ニュースや新聞などで知っている方もいると思いますが、
北前船をテーマとした日本遺産に男鹿市を含む27市町が追加認定されました!∩(´∀`)∩ワーイ
北前船とは、
江戸時代中期(18世紀中ごろ)~明治30年代に、大阪と北海道を日本海回りで、
商品を売り買いしながら結んでいた商船群のことです。
北前船、わたしもつい最近知りました。(高校のとき日本史選択だったのにな。おかしいな。)
日本遺産とは、
地域の歴史的魅力や特色を通じて、
日本の文化・伝統をもの語るストーリーを文化庁が認定するものです。
ストーリーを語る上で欠かせない、魅力あふれる有形・無形のさまざまな文化財を、
地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく
海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的としています。
今回男鹿市が追加認定された北前船のストーリーは以下のようなお話です。
荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~
日本海沿岸には、航海の目印となる山を風景の一部に取り込む港町が点々とみられます。
そこには、港に通じる小路が随所に走り、
通りには広大な商家や豪壮な船主屋敷が建っています。
また、社寺には奉納された船の絵馬や模型が残り、
京など遠方に起源がある祭礼が行われ、節回しの似た民謡が唄われています。
これらの港町は、荒波を越え、動く総合商社として巨万の富を生み、
各地に繁栄をもたらした北前船の寄港地・船主集落で、
時を重ねて彩られた異空間として今も人々を惹きつけてやみません。
北前船のストーリーを構成する男鹿市の文化財として、
船乗りたちが航海の安全を祈願して書いた真山神社五社殿の落書き、
北前船で財をなした商家・田沼家の屋敷に残る江戸時代の土蔵(国有形登録文化財)
があります。
真山神社五社殿は県指定文化財です!落書きしちゃだめですよ!
北前船には、誰でもお金持ちになれる夢がありました。
江戸時代には武士を頂点とする身分制度がありましたが、
自分の才覚と努力次第でお金持ちになれるチャンスがあったのです。
北前船には数多くの遭難記録がありますが、
それでも夢を追う船乗りが絶えることはなかったといいます。
男鹿市平沢・船川・脇本にも、北前船の海難者を慰霊した石碑が残っています。
大きな夢は、常に危険と隣り合わせだったんですね。
北前船の船乗りたちが寄港地で何を思ったのか。
どんな気持ちで真山神社に落書きを残したのか。
男鹿の海を眺めながらそんなことを思ったりしました。