こんにちは。さきいかです☺
先日、東京から石坂仁さん(青山トーゴ)さんがいらっしゃいました!
石坂さんは共同通信社で仕事をしているかたわら、青山トーゴとして小説を書かれています。
今回は「八郎潟干拓の時代に生きた人々を取り上げた小説を書きたい」ということで、案内ボランティアガイドの依頼がありました。
ここからは青山さんと呼ばせていただきます。
秋田県出身の青山さん。
なんと大潟村が誕生した年に生まれたそうで、村と同い年( ´▽`)
以前、大潟村を自転車で回ろうとしてあまりの広さにびっくりしたと話されていました( ´▽`)
干拓前の人々の暮らしや周辺地域の様子、周辺から入植した人たちの話を聞きたいとのご要望で、どんなことを聞かれても対応できるように、周辺町村から入植した案内ボランティアと干拓について詳しい案内ボランティアの3人体制でご案内しました☺
水に浸かった稲を刈り取り船に積んで収穫していたことや、
夕方になると琴丘町(現・三種町)鹿渡にあった北部干拓建設事務所で働いていた人たちがぞろぞろと駅まで行列をつくっていたことなど、周辺町村から入植した案内ボランティアならではの話をしていました。
さらに詳しく・・・ということで着席して。
当時の食事、入植時の資金調達などデリケートな部分も質問されていました。
さすが報道記者さんですね!
シラウオは高級魚で食べられなかったこと、イサジャ(あみ)はよく食べていて、イサジャおいしいですよね~など盛り上がっていました(*´艸`)
どのような小説ができるか楽しみですね♪