地震による八郎潟堤防の被害

こんにちは。さきいかです☺

今日は3月11日。東日本大震災が発生してから13年が経過しました。

今日は地震の話に関連して、昭和39年と昭和43年に発生した地震による八郎潟堤防の被害についてです。

八郎潟干拓が本格的に工事に着手したのは昭和34年。
堤防の建設や排水機場などの基幹施設の建設が行われ、昭和39年、約5.500haの陸地が顔を出し、干陸式を行うその年に!大潟村誕生だ~と喜んだであろうその年に!
3回の地震が起きました。

①青森県西方沖地震(男鹿半島沖地震) 1964年(昭和39年)5月7日
 マグニチュード6.9
 正面堤防:沈下・液状化
 西部承水路:堤防沈下・亀裂破損
 南部排水機場:護岸崩壊(施設への影響はなし)  など

↑西部承水路の堤防沈下写真
赤い線がもともと堤防があった場所。沈下具合が分かりますね。

 ↑南部排水機場吸水層のり面崩壊写真

②新潟地震 1964年(昭和39年)6月16日
 マグニチュード7.5
 西部承水路宮沢地先:所々沈下
 津波による海水の逆流を避けるため、水門を閉じたところ標高1.2mのゲートを越えて海水が調整池内に流入

③男鹿半島沖地震 1964年(昭和39年)12月11日
 マグニチュード6.3
 西部承水路:約1kmが20㎝沈下

④十勝沖地震 1968年(昭和43年)5月16日
 マグニチュード7.9
 周辺干拓堤防:1~1.5m沈下
 正面堤防・周辺干拓堤防:堤防周辺の液状化
 各排水機場:護岸の沈下、ポンプ運転不能  など

日本は世界で有数の地震国。
いつどこで起こるか分からないから怖いですよね(‘_’)
だからこそ地震を正しく理解して、地震に対応できる知恵を身につけることが必要です!
そこで地震の仕組みを分かりやすく教えてくれるのが「ジオパーク学習センター」✐
ぜひ行ってみてね☺

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