営農開始当時の田植え事情🌱

こんにちは。さきいかです🦑

大潟村の田植えも終わりに近づいてきました~。

さなぶりの時期ですね~( ´▽`)

「さなぶり」とは「田植えを終えた祝い」のこと。
「田の神に感謝し、豊作を祈願するもの」でもあります。

今年もおいしいお米がいっぱい収穫できるといいですね!

さて、大潟村は営農当初、2種類の直播き栽培で田植えを計画していました。

①耕起・整地した後に水を張り、ヘリコプターを用いて直接種もみを空から播く「湛水直播き」
②耕起・整地した後にドリルシーダーで種もみを播き、発芽後に湛水する「乾田直播き」

↓ヘリコプターから種もみを播く様子

しかし、低温や強風で種もみが埋没したり発芽しなかったり・・・
ということで、改植しなければならない田んぼが相次ぎました。

改植方法は「手植え」。

第一次入植者は昭和43年に営農を開始しましたが、当時はまだ田植え機が開発されてから間もなく、手植えでの改植作業でした。

第四次入植者が営農を開始した昭和46年ごろになると、農業機械メーカーでは4条式の田植機の開発が行われ、大潟村でも導入され始めました。


昭和44・45年に大潟村の実験農場で営農機械の適応性のチェックが行われました。

その様子がこちら↓

2条播き歩行型や8条・12条播き乗用型などの移植具合をチェックしています。

これら田植機の出現で経営的にも栽培的にも安定したそうです☺

現在では自動運転付きの田植え機やスマホやパソコン・タブレットなどで水の管理が出来るなど、ICTを活用したスマート農業が登場してきていますからね(゜ω゜)!

これからどんな農業機械が登場し、農業が発展していくのか楽しみですね。

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