こんにちは たかみーです。
加茂青砂地区にある、和平の碑をご存じでしょうか。
旧男鹿市立加茂青砂小学校の校舎のそばにあります。
太平洋戦争が終わったばかりの73年前の今日、
大館市花岡の捕虜収容所に救援物資を届けるためにサイパン島を離陸したB-29が、
男鹿半島を通過中に本山に衝突、炎上する事故がありました。
加茂青砂集落の人たちが総出で捜索にあたり、
乗組員12人のうち、奇跡的に1人だけ生き残ったノーマン・マーティン少年兵を救助しました。
戦争が終わったとはいえ、敵国のB-29の乗組員は加茂青砂集落の人たちにとって憎い相手だった思います。
集落からも戦地に赴いた若者がいましたが、帰ってきた人はいませんでした。
加茂青砂の人たちは憎しみよりも、命の尊さを最重要視した行動をとったのです。
事故現場を見た人は、「敵とか味方とかそういうことは忘れ、ただただ気の毒に思った」と言葉を残しています。
あまりブログが長くなっちゃうのもあれなので、ざっと要約するとこんなお話です。
詳しいお話、マーティンさんが再び男鹿を訪れた後日談などは、
ジオパーク学習センターの図書コーナーにある資料で読むことができます。
和平の碑は特にジオスポットになっているわけではないのですが、
加茂青砂地区を訪れた際には日本海中部地震の慰霊碑と合わせて、
ぜひ思い出してほしい場所です。
B-29墜落の件について、最近になって調べている者です。
墜落後一週間程度経って、生存者と遺骨を迎えにきた米軍の撮影した映像が残っていました。
合わせて参照いただければと思います。
リンクを忘れました。米国国立公文書館のこちらです。https://catalog.archives.gov/id/5541